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納得の“因果応報”シリーズ ⅴ
前世現世来世でとらえる人生

(2)現世の生き方が来世につながる パート5


シリーズの最終回になります。

今回は ―自由の解釈によって未来が変わってくる― を見てみましょう。


StatuteOfLiberty.jpg


カルマというものはある意味で、お金と同じようなところがあります。

お金は借りたら返さなくてはいけませんし、貯金をすれば自分で使える範囲が広くなりますが、カルマにはこれとよく似たところがあるのです。


すなわち、



「人間は今世を生きている間にいろいろなところで、“借金”をして生きている。

今世のうちに返さなければ、その借金は来世に持ち越すことによって、来世に必ず返さなくてはいけなくなる。

したがって、なるべく今世のうちに、借金を返し貯金に変えておいた方がよい。」



ということを仏宝は進めているわけです。

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人間は誰しも自由に生きているつもりでいるのですが、高貴な氏名や倫理観を伴った自由、要するに責任を伴う自由を行使したものは霊的には貯金を積みながら生きていることになります。


一方、同じ自由であっても責任を伴わない自由、堕落の自由、他の人を害したり、堕落させたり、自らも堕落したりするような自由を行使して生きたならば、それは霊的には、借金にまみれた生活をし、借金を背負っていることと同じなのです。


ところがそういう借金を自分が背負っていることに気づかない人が大勢いるのです。


親に対して、


「自分の肉体を好きなようにして、何が悪い。自分の心だって、自分のものではないか。自分の思うように生きて何が悪い。ほかの人に何か言われる筋合いはない」


というような言い方をする人がたくさんいます。


しかし、肉体は両親からいただいたものです。

魂は両親からいただいたものではありませんが、仏からいただいたものです。


転生輪廻の仕組みができた時から魂はきちんとあるのです。

何世代にわたって生きる力を与えられたのです。

このように肉体も心もいただいたものなのです。



さらに、人間は十数年を生きるために数多くの犠牲に支えられて生きているのです。

したがって、「自分の肉体も心も、もともと借りているものなのだ」と思わなくてはなりません。

借りているものなのですから、それをお返ししていかなくてはならないのです。


それが人生なのです。


「自分の人生は、プラス・マイナス・ゼロだ」と自分では思っているかもしれませんが、「プラス・マイナス・ゼロ」と思ったならば、実際には借金漬けの生活をしているとみて間違いありません。

「自分はとても良いことをしてきた」と思って、借金が消えるかどうかギリギリのラインであることが多いのです。


多くの人は借金を持ったまま、あの世に帰っていき、その借金の重みにストーンと沈んでいきます。


自由の解釈如何によって、そのように未来が変わってくるのです。


いかがでしたか。


借金を返して、あの世に旅立ることができるでしょうか?

しかし、あなたならできる!

Yes! You can! v(^0^)v

Freedom.jpg


(『復活の法』第4章 因果応報より)



(画像参照:http://www.mtbook.com/usscenery/2008/05/post_211.html
http://blogs.kqed.org/election2012/2012/11/05/state-watchdog-agency-accuses-arizona-group-of-money-laundering/
http://www.empowernetwork.com/nnextlevel/what-is-freedom/)


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[2013/03/12 23:48] | 仏法真理 | トラックバック(0) | コメント(1) |
納得の“因果応報”シリーズ ⅳ
前世・現世・来世でとらえる人生


(2)現世の生き方が来世につながるパート3


―来世以降に宿題を残さないようにする―


因果の理法を釈尊は次のように説いていたのです。


「過去世でのことについては、今世では手が及ばないが、

今世でのことは、少なくとも来世につながることは確実である。




今世を生きていく過程において、悪い種子を心のなかに播かないようにしよう。


悪い種子を播けば、生きている間にも、それは育ってくるが死んだあとであっても、それがなくなることはないのだ。



魂の傾向性として宿題が残り、来世では天界以外のところに行くことになる。


さらに来来世というその先の生まれ変わり、もう一回先の生まれ変わりにおいても、その宿題をもって生まれることになる。


今世の何十年かの人生で作った魂の強い傾向性、カルマというものは、来世以降もかなり持ち越すもので、そういう宿題を残さないようにしよう。



まず、まく種に、木をつけ、悪い種を播かないようにしよう。

悪い種を播いてしまったら、次は、それが育たないように努力しよう。

それが育ってしまったときには、今世において、刈り取られるものならそれを刈り取ってしまおう。」



このように釈尊は説いたのです。



―知らずに犯す罪をあがなえるだけの高度な価値を生む―



悪の種というものは常にあります。



また、どのような人であっても、一つの悪も犯さずに一生を送ることはできません。

もちろん、悪を犯したことに、自分では気づかない場合もあります。

その部分にまで、光を当てられたならば、悪を犯さずに生きることは無理なのです。



例えば、一匹の虫も殺さずに、人生を生きることは不可能です。

殺したことを自分は知らなくても、実際には殺していることがあります。

自分の手で叩き落さなくても蚊取り線香が仕事をすることだって当然あります。

道を歩いているときにありを踏み潰しても気づいていないことも数多くあるでしょう。

知らずに殺している虫もたくさんいるのです。


また、牛肉や豚肉などを一生のうちにいったいどれくらい食べるでしょうか。

何頭牛を食べるのでしょう。何匹豚を食べるのでしょう。何羽鶏を食べるでしょう。

かなりの数を食べることになるでしょう。


その牛や豚や鶏は自分以外の人が殺してくれているので、自分に罪悪感はありませんが、その動物たちが、屠殺される現場に実際に居合わせたならば、そのあと、その肉を食べられたものではないでしょう。

動物たちはやはり殺されることを嫌がっています。

死にたくないのは、人間も動物も同じです。

今世の生命を全うしたいのは、動物も人間と同じですが、動物たちは、人間の食糧に供されるために生命を奪われています。

その現場を見れば、その肉を食べられたものではありませんが、その嫌いな仕事を他の人がやってくれているので、機嫌良く食べることができるのです。

魚だって同じです。魂もあり、喜怒哀楽の感情を持っています。

植物にも魂があります。動物や植物の生命を奪うことなくして、一章を生きることは今世に生まれた以上できません。


それは不可能なことなのです。

そのため、実際に、多くの動植物が犠牲になっています。さらには、そういう動植物だけではなく、多くの人たちの汗と涙、その他の努力のために人間は生活できているのです。


罪なくして、生きることはなかなかできるものではなく、むしろ罪多くして生きることになります。


そして、多くの動植物が、犠牲になってくれたとしても、それを贖えるだけの高度な価値を生む生き方「あの人が生きていてよかった」といわれるだけの生き方をしなければいけないのです。



(『復活の法』第4章因果応報より)


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[2013/03/09 00:13] | 仏法真理 | トラックバック(0) | コメント(0) |
納得の“因果応報”シリーズⅡ
前世・現世・来世でとらえる人生

(2)現世の生き方が来世につながる



過去からの宿題を思うと、現世の生き方が来世につながることが見えてきます。


では、三世(前世・現世・来世)の因果が現実になるためには、肉体を離れた自分というものがどこかになければなりません。


過去世の自分は、今の自分の肉体と同じではなく、また来世の自分も今の自分の肉体と同じではないので、肉体を離れた自己認識というものがどこかになければならないのです。




そして、自分のカルマ(行)、魂の傾向性には、肉体に宿ったために盲目となり、霊的な意味が分からないままあることを反復して行ったり思ったりして形成してきたものが多いと言えます。



ある人が数十年の人生において、一定の傾向を持ち、繰り返し何かをなしているときには、その傾向自体は、すぐにはなくならないのです。

必ず後々へと尾をひくことになります。



個々で思い出されるのは、天台大師智顗が説いた「十戒御具」「一念三千」という教えです。



十戒御具とは天上界のもっとも上の心境から地獄界の最下層の心境までを十通りに分けて、「その十通りの心境を上は仏から下はまっさかさまに地獄に落ちた人まで全員が備えている、だれもが心のなかにそういう機能自体を備えている。しかし、もともと持っている機能がどういう現れ方をするかは人によって違ってくる」という考え方です。



すなわち、「確かにすごい怒りに包まれた人の心は、地獄に通じる。しかし、菩薩や仏は、心のなかに怒るという機能を持っていないかといえば、そうではなく、やはり、そういう機能自体は持っている」と考えるのです。



人間である限り、作用としては同じものを基本的にすべての人が持っているのです。


しかし、「心の世界から観た人間には、三千もの種類がある」という一念三千の教えの通り、「心の在り方をどのように調整していくか。心の針を主として、どの方向に向けていくか。これによって人間はちがってくるのだ。」ということです。


例えばラジオという装置においては、電波を上手に受信できなければ、きれいな音楽が放送されていても、その音楽がきれいに聞こえませんが、心においても、「きれいな音楽が聞こえるか、雑音が入るかそれは、心の在り方によるのだ。装置そのものが違うわけではないが、心の在り方によって、そのように違いが生じるのだ」というような考えるのが天台大師の思想です。



いろいろな心の可能性をすべて持っていながら、「どの部分が最も強く出ているか」ということによって、それぞれの悟りの段階が定義されているとみてよいのです。






(『復活の法』第4章 因果応報より)




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[2013/03/06 22:44] | 仏法真理 | トラックバック(0) | コメント(0) |
納得の“因果応報”シリーズ Ⅲ
前世・現世・来世でとらえる人生


(2)現世の生き方が来世につながる



―同じルールの下でも実力には個人差がある―


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『心の指』をどの方向に向けているかを見てきましたが、だれであってもこの世で生きていく上でのルールは同じなのです。

すなわち、天上界の大如来から地獄の奥底に至る人まで適用されるルールは同じです。


この世に生まれた大如来がこの世の法則を全部捻じ曲げて自由自在に生きられるかというとそうではありません。

地上に生まれた大如来であろうと、地獄に千年もいてから天上界にあがりそのあと地上に出てきた人であろうと、三次元のルール、この世のルールは同じ形で適用されるのです。

だれであっても、一日に何回か食事をしなればないませんし、食べたものがあれば排出するものもあります。

また、学校で勉強していないことは、どこかで補わない限り身に着け名kればなりません。

例えば日本人として生まれた人は大如来であろうと地獄のサタンの経験者であろうと、英語の勉強をしなければ絶対にできるようにはならないのです。
もちろん人によっては、マスターの度合いは違いはありますが、英語ができるようになるためには、映画の勉強が必要なのです。


そのようにだれであってもこの世で生きていく上でのルールは同じです。


将棋の名人でもコマを取られることがあるように、如来や菩薩であっても、今世を生きる過程で、いろいろな失敗をしていきます。


ただ、如来界や菩薩界から出てきている人は、人生の目的や使命に関して、霊的な人生観を持っていることが多いのです。


そのために、たとえこの世的に敗れたようなことがあってもトータルでみて、今世の使命そのものは最終的に逃さないように生きようと努力します。


そういう人たちは、「この世的な成功ではなく、この世とあの世を貫く生き方をしよう」という強い意志を持っているのです。

如来や菩薩であってもこの世的には、貧乏や病気が原因で死ぬこともありますし、重罪人としてあるいは思想犯として、死刑台の上で露ときえることもあります。

それはこの世的には失敗に見えます。


しかし、トータルの人生観において人生に対する見方が間違っていない場合には、将棋の名人と同じで、負けることはないのです。

ところが将棋でいえば、コマの一枚か二枚を取っただけで、「もう勝った勝った」と大騒ぎをしている人もいます。


「実は最終的に勝負で負けている」と気づかず、「コマを何枚撮ったか」というようなことで喜んでいる人は、この世的において、不当な出世をしたり不当な金儲けをしたりしている人に当たるでしょう。

したがって自分では「成功した成功した」と思っても実はそうではないこともあるのです。



天台大師が説いていることは、将棋に例えれば「名人であろうと、素人であろうと、コマの動かし方などのルールは同じであるが、名人は素人に100%勝てる。たとえコマ落ちであっても同じである。勝ち負けに関して、名人と素人の間にはかなりの実力の差がある」というようなことだと言ってよいでしょう。

前世の過程で多くの人を指導してきた人にはやはり、それだけ熟練しているので、悟りの機縁に触れて悟るのも早いし、人々の教訓を見出す力も大きいのです。





(『復活の法』 第4章 因果応報 より)



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[2013/03/02 19:28] | 仏法真理 | トラックバック(0) | コメント(0) |
友よ!
tis-ikuo-takeda-medium (2)


目覚めよ。

そして使命を果たせ。


正しきものよ、強くありなさい。

真理の側にあるものよ、強くありなさい。


一本のろうそくの炎でよい。

あなたがたの心のなかに真理の炎をともせ。

それが周りにいる人を照らすであろう。


この世で傷つき、つまずき、苦しみ、悲しみ、倒れようとも、真理の炎を絶やさず、人びとを助け、この世の闇を照らし続けるもの、あなた方こそ、たとえ、平凡な人間であっても、真理の友であり、我が縁生の弟子である。


縁生の弟子たちよ。


目覚めよ。


勇ましくたたかえ。われとともに戦え。



集いこよ。真理の旗のもとに。


そして、真理を押しひろげるのである。



それがあなたがたの使命である。










月刊誌「幸福の科学」NO.274



画像参照:
http://www.tis-home.com/ikuo-takeda/works/14




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[2013/02/28 22:32] | 仏法真理 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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